生きている感じが薄い「解離・離人感」

どこか遠い場所から自分を見ている

自分の体のはずなのに、自分の物ではない(動かない)ような気がすることがある。

自分の様子を少し離れた場所から眺めているような感覚になるときがある。

世界と自分は、薄い膜のようなもので隔てられている感じがする。

ふと気が付くと、身に覚えのないものを買っていたり、予定にない場所にいた。

人に「別人のようだった」と言われたことがあり、その間の記憶がない。

「痛みに強い」「浮世離れしている」「独特な雰囲気がある」と人から言われやすい。

「自分という1人の人間が、地に足を付けて日々生きている。」

そんな感覚に欠け、苦しみも悲しみもどこか夢うつつの中にくるまれているような気持ちがあることを、「解離」や「離人感」と言ったりします。

では、このような感覚があるとどういうことが起こるのでしょうか。

そして、どうしてこのような感覚を持つようになったのでしょうか。

「解離」や「離人感」とは

子供のころ、「空想に没頭して授業を聞いてなかった」なんてことはありませんか。

広い意味では、それもまた解離の一つと言われています。
解離や離人感は、「リアルの自分自身から感覚や記憶、経験が離れてしまう」というものです。

(ちょっとスピリチュアルに思える体外離脱や金縛りも、解離と捉えることができます。)

もちろん、これらの一過性の解離経験は健康な人にも起こるものです。そのため、上記に該当する=必ず問題がある、というわけではありません。

しかし、その内容の深さや頻度によっては、心の傷との関係を考えなければなりません。

痛みが分からなくなってしまう

さて、解離や離人感が強い場合、どんなことに困るのでしょうか。

実は、主観的に「すごく困っている」と感じる人はあまり多くないかもしれません。

実際に記憶がなくなったり、身に覚えのない言動をした経験をもつ方であれば、「どうにかしないと」と感じやすいのですが、

「生きているリアルな感覚が薄い」というような状態だけが慢性的に続いている場合、それ自体が大きな問題になることは(表面的には)あまりありません。

そのため、「何が問題なの?」と感じる方もいるでしょう。

しかしたとえば、解離や離人感が強くなると、つらい環境にい続けてしまう傾向があります。

過酷なストレスを受ける状態に身をさらしていても、意識がどこかぼんやりしているために適切な対処を取りづらくなるためです。

解離や離人感は、時に心の麻酔のような役割を果たします。

つまり、解離や離人感があると、麻酔が効いているためリアルな苦しみにはやや鈍くなります。

けれど、それは「ダメージを受けない」こととは別。
麻酔を打っていようが打撲が出来るのと同じで、解離をしていようが心のダメージは蓄積していくのです。

結果的に、「つらい」という気持ちが漠然としたものとなり、「消えたい」「この苦しみはどうしようもない気がする」という心理状態に陥りやすくなってしまいます。

考えられる原因

「解離」や「離人感」の原因として、下記のような経験が挙げられます。

事故や災害に見舞われる

壮絶な体験、もしくはその目撃

虐待、性的被害等

逃げ場のない環境によるストレス(家族が不仲で安心できる居場所がなかった、等)

基本的には「衝撃的なトラウマ体験」が原因として挙げられることが多いですが、慢性的な心理的負荷なども要因になりえます。

なお、これらの体験は、それ自体の記憶がないケース、記憶はあっても「大したことない」と本人が思っているケースなども見受けられます。

カウンセリングでお話をして初めて、「トラウマになってたんだ」と気づく方もいらっしゃるようです。

本人にとっては「失いたくない」ことも

解離や離人感には「心の麻酔」のような働きがある、と書きました。

それは決して「ダメージを受けない」ということではないのですが、人によっては表面的には本当につらいことを思い出さずに済んだり、心の痛みがぼやかされているように感じじることもあります。

解離は、人によっては「味方」でもあったりするのです。

だからこそ、カウンセリングが進んで意識がはっきりし始めると、解離から醒めてしまうことに不安を感じる方もいます。

「生きている感じの薄さ」がこれまで自分を助け支えてきたことを理解しつつも、それによって押しやられてきた心の痛みに気づくことで、カウンセリングはゆっくり先へ進んでいきます。

カウンセリングについて

参考:『カプラン臨床精神医学テキスト DSM-5診断基準の臨床への展開』
2016年5月/メディカル・サイエンス・インターナショナル
ベンジャミン J.サドック/編著 バージニア A.サドック/編著 ペドロ ルイース/編著 井上令一/監修 四宮滋子/監訳 田宮聡/監訳