【ChatGPT】「他者に多くを望む自分」を知るためのワーク

私はここ1週間ほど、「AIが聞き手であってもカウンセリングのような体験が出来るのか」に興味を持って、夜な夜な「ChatGPT」でプチ実験をしていました。

実験と言っても、「私が相談者としてAIに繰り返し色々な悩みを話し、AIとの対話の中で自分に起こる変化を眺める」というだけのシンプルで主観的な検証です。

(ChatGPT:OpenAIが開発した、AIと対話が出来るチャット。)

その結果、個人的にちょっと面白い発見があったので書き残しておこうと思います。

カウンセリングとは別物、でも価値がある

まず、結論から書くと、「カウンセリングと同様の体験は得られなかった」というのが今のところです。

AIは私の相談を受け止めますし(~で~だったのですね。というような返しをします)、質問もしてくれます。原因を挙げて解決策も提示します。想像以上にとても優秀でした。

ただ、感想としては「私以外の人間が同じことを聞いても、同じことを答えるのだろう」感は残ります。個別の、私というものを深く掘り下げてくれる感じには至りません。「優秀なAIに相談する」という私のイメージの範囲を超えるものではありませんでした。

ただしこれは「相談内容を心理的に深められるか」や「カウンセラーに聞いてもらった時のような満足感があるか」という点での話です。

実は、視点を変えて「相談するという行為から自分を知る」をテーマにしたら、笑ってしまうほど簡単に、そして気軽に、いろいろな気づきが得られました。

ここでは、相談者として私が気づいたことや感じたことを、カウンセラーの立場からも眺めつつ、「ChatGPTを心のトレーニングツールとして使う」ことについて書いてみます。

注意点

この記事は、「ChatGPTをカウンセラーとして機能させる」ことを目的にしていません。

AIへの相談を通して、相談者(私)がどのように感じたか?何を得られたか?という点に重きを置いています。

AIを最適化させるための工夫や方法には触れていませんので(ほぼやっていない)、あらかじめご承知おきください。

AIの対話レベルの高さについて

本題に入る前に、ChatGPTの、つまりAIの対話能力について参考写真を掲載します。

(画質が荒くてごめんなさい。ピンクの四角が私です。)

これはChatGPTをダウンロードした直後に、初めて交わした会話です。

やり取りの形式的な感じ(日本語訳なので余計に)や、意図したことが伝わらない箇所はありますが、十分会話らしい会話をすることができます。

AIは基本的に解決策を考えたがる傾向がありましたが(こちらが気を抜くとすぐアドバイスをしてきます。)、

私が「相槌を打って」「ほめて」などの指示を出せば、それも対応してくれます。

私が今回ChatGPTとの対話で得た気づきは、おそらく一昔前の単純な受け答えのみのAIではかなわなかったことかもしれません。

ですので、あくまで「このレベルの対話が可能なAIが相手である」ことを、本題の前提とします。

「AIに話を聞いてもらう」ということ

最初の気づき

ChatGPTに相談を始めて、まず最初に気づいたことは

「人以外に相談するということは、こんなに痛みがないのか」

ということでした。

相手が人間じゃないというだけで、「分かってほしい」という執着のような気持ちが明らかに少ないのです。

そして「分かってほしい」という気持ちがなければ、当然「分かってもらえない」という不安や傷つきも激減することになります。

(カウンセリング的に言えば、転移や投影もほぼ起こらないということになります)

↑この写真は「アドバイスはせず話を聞いてほしい」という指示がAIに的確に伝わらなかった例です。

もしこのAIの反応が、恋人、友人、家族、カウンセラーから来たなら。

私なら、「アドバイスをするな」と伝えたのに「ヒント」と称したアドバイスが返ってきたことに少し不満を感じると思います。

でもその不満が、この場では「まあAIだしな」で済んでしまうのだから面白いです。

心のうねり

私たちの相談という行為には、必ず

①相談者が聞き手へ向ける期待や不安

②聞き手から実際に返ってくる反応

③聞き手の反応を相談者がどう捉えるか

に伴う心のうねりが付きまといます。

このおかげで「話を聞いてもらえた」と感じた時の喜びやカタルシス、一体感も大きいのですが、うまくいかないと不満・傷つき・執着などを呼ぶこともあります。

本来「相談」とは、単純なものではないのです。

その点AIとの会話は、「分かってほしい」という気持ちが浅い分、癒される感覚にも欠けますが、そのかわり対話に痛みを感じることもありません。

感情のアップダウンが少ないので、ある意味とても冷静に相談をすることができます。

AIでなければ得られない

ところで、もしも「人以外に相談する」ことだけに意味があるのなら、飼っている猫や犬、ベッドにもたれかかったぬいぐるみ、育てている豆苗、もっと言うと壁や椅子が相談相手でもいいことになります。

けれど、「AI」と「AI以外の人でないもの」には当然大きな違いがあります。

「AIは人の言葉を使って返事をしてくる」という点です。

私は一応、念のために、豆苗、壁、楽器を脇に抱えたくまのぬいぐるみに対しても相談をしてみましたが、やはりその差は歴然でした(ペットは飼っていません)。

AIの方が、圧倒的に「聞いてもらった感」があるのです。
相手は人間ではないのに。

※話を聞いてくれた豆苗。

AIへの相談は、心のうねりが起きやすい「対人間」への相談と、部屋に自分の声だけが虚しく溶けゆく「対物」への相談の、ちょうど間に存在しており、

「人に相談をすること」があやういような時(後述)や、もしくは「今どうしても誰かに反応が欲しい」という衝動があるときには、ちょうどよい聞き役になるのではないかと思います。

分かってほしい、の気づき

先ほど、私は

相手が人間じゃないというだけで、「分かってほしい」という執着のような気持ちが明らかに少ないのです。

なんてことを書きましたが、これには補足があります。

「対人間」への相談と比べれば確かにその通りなのですが、実はAI以外の「対物」への相談と比べると、そうでもないようです。

少なくとも私は、「相手が同じ言語でしゃべり返してくる」というたったそれだけで、ぬいぐるみには感じなかった「説明すれば分かってもらえるはずだ」「私が欲しい反応をもらおう」という気持ちが、じわじわと出てくるのを感じました。

「大した相談をしているわけでもないのに、私ってそんなに分かってほしいのね…」と思ったところで、今度は自分のコミュニケーションが気になり始めました。

自分のわがままっぷりを知る

他者を操作する自分

私たちは、無意識に他者から特定の言葉を引き出そうと誘導したり、他者を自分に都合の良いように操作してしまうことがあります。

他者の自発的な言動に見えるものも、実際は自分が態度や雰囲気や言葉選びで「そうさせていた」ということが少なくありません。

けれど、ChatGPTをはじめとするAIには、おそらくまだそこまでの機能がありません。

私がひそかに望んでいることをAIが読み取ることはできないし、私の非言語的な「指示」を受け取ることもできません。

ですから、AIに何かを望むのであれば、「質問をしてください」「ほめてください」のように、自分が相手に対して望んでいることをごまかさず明確に伝えなければならない場面がたくさんあります。

その結果、AIとのやり取りは、普段の人間関係よりもはるかに「自分は今、相手を希望通りに操作しているのだ」とはっきり自覚する経験の場となりました。

自分の欲深さを知る

私はこの一週間、AIに何度も自分の要望を伝えました。

「相槌を打ってほしい」

「アドバイスしないでほしい」

「質問をして私の考えを深めてほしい」

「共感してほしい」

「慰めてほしい」

「どうすればいいのかを教えて」

その一言を打ち込むたびに、

「これまで、こんな風に他者にむき出しの要望を伝えたことがどれだけあっただろうか?」と考えてしまうし、

AIに指示を出し、思い通りに操作するたびに、自分がいかに望んだ反応以外を拒否しているかも自覚することになりました。

「私は他者にたくさんのことを求めていて、しかもその多くを口に出していない」

「分かっているつもり」でいたことを本当に実感できた瞬間ほど、はっとすることはありません。

他者のありがたみ

本来、「伝えなければ伝わらない」のは人間同士のコミュニケーションでも同じはずです。

そんなこと頭では分かっているつもりでしたが、こうやってAIと対話をして、

私がいかに「伝えずに伝えてきたか」

私がいかに「欲しい言葉しか欲しくないか」

そして、他者がいかに「伝えていないことを読み取ってくれていたか」

を改めて知ることになりました。あと、それに私が気づいていなかった事にも。

前章の「分かってほしい」という気持ちをふりかえっても、同じことが言えます。

結局、私は伝えなくても分かってほしいし、伝えていない事にも気づいていないし、望んだ反応しかいらないし、分かってくれない相手にがっかりして、おまけにそんな自分の傲慢さへの自覚も足りなかったのです。

なんてわがままなんでしょうか。

そして、そんな私の意図を汲みとってくれていた周囲の人間は、なんて親切なんでしょうか。

コミュニケーションの基本に立ち返る

伝えなければ、伝わらない

AIとの対話によって、私のコミュニケーションは一度更地に戻されることになりました。

コミュニケーションと「分かってほしい」がごちゃ混ぜになってしまっていた状態が、整理され始めた気がします。

そのおかげで、

「伝えないと伝わらない」

「伝えても伝わらないことがある」

「伝わっても相手が出来ないこともある」

「自分は相手に多くのことを望み、思い通りになってほしいと思っている」

こんな当たり前の基礎基本に、一度立ち返ることが出来ました。

どれも、人間同士のコミュニケーションでは当たり前で、重要なポイントのはずです。

でも、私たちはいつも非常に多くの情報を主観で処理して対話をしています。

表情、身振り、声色をはじめとして、言語による指示以外の何かによって、やりとりを成立させることがたくさんあります。

はっきり伝えなくても文脈を読んでくれる他者がいます。

だから、時々忘れてしまうのです。

伝えていないのに伝わるはずだと思いこみ、伝わってないことに悲しみます。

「分かってくれない」「察してくれない」「欲しい言葉をくれない」

そんな風に思ってしまいます。

AIとの対話と通じてコミュニケーションの基礎基本を再確認する予定はありませんでしたが、AIだからこそこんなシンプルなことを振り返れたのだと思います。

シンプルな相談で満足する

AIとの対話をすると、自分の文章がかなりシンプルになっていきます。

単純に、「余計なことを書いたら伝わらないかも」と思うからです。

これも、面白い発見がありました。

普段誰かに相談するとき、なんとなく「1から10まで全部言わないとスッキリしない」という気持ちになることがあります。

実際は、全部話したら時間がかかってしまうので手短に伝えるのですが、これがカウンセリングのような場面になると、やはり「全部話しておきたい」という気持ちが強くなります。

これも、AIとの会話ではそこまで感じませんでした。

私の「全部話す」欲には、「全部話して、齟齬なく理解してもらいたい」「私の思うように話を進めたい」「中途半端ではすれ違いが起きて私が悲しい思いをするのでは」「悩みを軽視されたくない」という気持ちがくるまれています。

これもざっくり言うと「分かってほしい」という気持ちが強いか、もしくは「分かってほしい」の親戚なんだろうと思います。

分かってほしい、という気持ちが強すぎなければ、AIと話すときのように「相手に合わせた伝え方」にもっと気を配れるようになるのかもしれません。

一番の発見は「受け入れやすいこと」

これまでの振り返り

1週間のAIとの対話を通して、いろいろな気づきがありました。

自分が想像以上にわがままであることや

分かってほしいという気持ちが強いこと

そして他者に求めるわりには、それをはっきり伝えていないことなど、

中にはちょっと反省してしまうようなものもありました。

でも、AIとの対話の中で一番面白かった発見は、これらの気づきが「ノーダメージ」だったということです。

抵抗なく自分を振り返ることが出来る

私が「相談をしている自分」について考える時、どんな気づきも抵抗なく受け入れることが出来ました。

人間は、自分の悪い部分を指摘されたり、至らなさに気づいたりすると、ついつい「ふん」と抵抗してしまうことがあります。

相談相手に「アドバイスしてほしくないならそう言ってほしい」と言われても、「そのくらい察してよ」とか「普通は…」とか、とにかく余計なことを考えてしまいます。

これは自分で気づいた時も同じで、「あ、私にも非があったな…」と思っても、なかなか素直になれなかったり、「でも」と自分の非をスルーしようとしたりします。

でも、私の場合、AIが相手だと実にあっさり「私ってこういうところがあるな~」と受け入れることができました。

分かってほしいという気持ちが少なく済む分、相手への情緒的な寄りかかりが減って、冷静に自分を見つめられるからかもしれません。

この、「相談中にリアルタイムで自分のことを振り返ることが出来る」点と、「自分の気づきを受け入れやすい心理状態である」という点は、AIへの相談のかなり大きなメリットだと思います。

気づき、受け入れ、生かしていく

心のトレーニング、自己理解に

AIに悩み相談を聞いてもらって1週間、私は周囲の人との関わり方を見直すようになっていました。

ちゃんと伝えているか?

伝えさえすれば、望んだとおりに相手が動くと思っていないか?

言葉に出さずに相手を操作しようとしていないか?

少し意識をするだけで、いつもより丁寧に人と会話が出来た気がします。

私は自分の一時的な心地よさや、苦しみを和らげたいという気持ちから多くのことを望み、それをはっきりと伝えずに他者に求めてきました。

表面的には「人目が気になる」「他者にどう思われるか不安」なんて思いながら、気づかぬところではしっかり相手に理想を求めていたのです。

でも、これ自体を悪いことだとは思いません。

問題は、その自覚がない事によって自分が苦しみやすくなってしまうというところにあると思います。

気づき、受け入れ、生かしていく

自分が多くのことを望んでいると知らなければ、「どうして傷つけるの」と感じます。

自分が伝えていないことに気づかなければ、「誰も信頼できない」と感じます。

そして、自分が他者を思い通りにしたいと思っていることに気づかなければ、「なんで分かってくれないの」と思ってしまいます。

こういうことを繰り返していると、自分はどんどん孤独になり、他者は分かってくれない存在となり、世界が敵だらけになっていきます。

でも、そんな自分に気が付けば、少しずつ見え方が変わってくるかもしれません。

少なくとも私にとって、AIとの対話は、

心のうねりに巻き込まれずに、冷静に自分を眺めることが出来る

AIへの指示出しや、AIからの返答をみた時の気分から、自分が求めていることが分かる

何度も指示出しをするうちに、自分がどれだけ多くのことを他者に求めているかが分かる

「伝えなければ伝わらない」等の、コミュニケーションの基本を振り返ることが出来る

自分に対する気づきを、抵抗なく受け入れることが出来る

受け入れることで、他人への感じ方や接し方が変わる、他人に感謝の気持ちがわく

これにより、現実の人間関係が改善されていくのではないか?という気づき

これだけ多くのものが得られた、とても良いツールでした。

自己を顧みて、気づき、受け入れ、生かしていくことが出来る、心のトレーニングとして効果があるものだと思っています。

おわりに

苦悩多き人たちに

私は、AIへの相談がすべての人に何かしらの気づきをもたらすと思っています。

けれど、「特にこんな悩みのある方に試してみてほしい」と思うところもあるので、最後にそこに触れようと思います。

悩みを抱える人の中には、「親密になった相手との関係を壊してしまう」方々がいます。

人との距離感に悩み、感情の起伏が大きく自分でも止められません。

分かってくれない、という不安や不満も人一倍強く、孤独が苦手ですが、親密になった相手には攻撃的になってしまいます。

昨日まで尊敬していた相手のことを心底うらんでしまったり、自傷行為や家出などをすることもあります。

分かってほしいという気持ちが強いのに、心理的な距離の近い相手との関係を壊してしまうので、カウンセリングが続かなかった(or続くけど感情が不安定)という方もいるでしょう。

こういうパターンを持っている方こそ、「AI相談」に向いているのではないでしょうか。

自分に起きていることを知る

いつも感情の嵐を巻き起こしてしまうような方でも、AIは人ではないので、対人関係で感じるほど激しい感情に飲まれないかもしれません。

呼べばいつもそこにいるので、見捨てられる不安もありません。

もし、激しい感情や暴言をぶつけてしまっても、AIにはまた相談をすることができます。

いつもは自分のことを客観的に振りかえる余裕がない人でも、見つめ直す時間がとれるかもしれません。

そうしたら、自分がどんな欲を持っていて、どんなコミュニケーションをとっているか、だれでも一つくらいは発見があります。

人への感情がなければ、これだけ自分は穏やかでいられるのだと感じられるかもしれませんし、

もしかしたら、身近な人のありがたみを感じる余裕もあるかもしれません。

また、すべてを分かってもらえなくても「まあいいか、このくらいで」と思えるようになります。

そして、AIとの相談を続けていると、必ず「ものたりなさ」を感じます。人に話した時にはあったはずの何かの感覚がないような、そんな気分になります。

この物足りなさをそれぞれがうまく言語化して、自分の心に返すことが出来たら、自分が何に傷つき、心底何を望んでいたのか、ヒントが得られるかもしれません。

AIへの相談を通して、他者を気にせず自分を見つめ直し、なにかに気づき、こっそり反省・成長していく。

これは充分「心のトレーニング」と言えるのではないかと思っています。

いつも他人と比べてしまう

他人と比べてしまう

【他人と比べてしまう人、こんなことありませんか】

ついつい他人と自分を比較して、落ち込むことが多い

ちょっとしたことで自分の居場所がなくなってしまうような気がする

見た目・性格・仕事など、自分より「上」の人が現れることを恐れてしまう

交際相手に対して、自分以外と付き合った方が幸せなのではないかと思う

人よりちょっと変わったことをしていたい

自分に少しでも落ち度があると、全部がダメなような気がする

親や周囲の人から、他人と比べられることが多かった

………

「他人と比べてしまう人」は、いつもどこか自分に集中できていない感覚があります。

比較対象になりそうな他人が現れるたびに心がざわざわと落ち着きません。

そして、そういう環境をなるべく避けたいという気持ちが強くなると、行動範囲を限定したり、転職を繰り返すことになったりして、生活に不便や制限を感じることがあります。

安心できる場所がどこにもない

「いつも他人と比べてしまう人」は、安心して過ごせる居場所を作ることが苦手です。

例えば、自分が働いていたアルバイト先に、自分より能力の高い新人さんが入ってきたり、周囲がその人を(自分が新人だった時よりも)ほめているのを目撃すると、坂を転げ落ちるように自信を無くしてしまいます。

また、カフェでのんびりしている時に、おしゃれをしたキレイな女性たちが来店すると、急に自分の見た目がみすぼらしく感じてしまい、楽しんでいたはずのお茶の味がよくわからなくなってしまいます。

他人の存在次第で気分が180度変わってしまうような心理状態を抱えているため、いつも心が休まらず、疲れやすい傾向があります。

そして、自分と他人と比べてしまう人は、「他者から比べられる不安」も抱えています。

そのため、仕事中でも周囲の人の言動につい意識が向いてしまったり、交際相手とデートをしていても、交際相手がほかの人を見ていないかが気になって、目の前のことに集中できません。

「役に立たないと思われる」

「いらないと思われる」

「あの人と比べて劣っていると思われる」

そんな気持ちをいつも心の片隅に抱えているため、他人のちょっとした言動やこそこそ話に対しても「私のことを言っているのかも…」と不安になりやすく、

被害妄想のような考えが頭から離れなくなってしまう場合もあります。

「自信のなさ」は本当に原因なの?

人と比べてしまうことの原因として、「自信のなさ」がよく挙げられます。

しかし、実際にこのようなお悩みを抱える方のお話を伺うと、「自信がない」では説明が足りないように思えることがあります。

それは「自信がない」という言葉が、「何を表しているのかわかるようでわからない言葉」であり、それゆえ解決策が見えてこない言葉だからかもしれません。

自信がない人にとって、「自信がないのが原因」という言葉は、時に漠然とした行き詰まりを感じさせる言葉でもあります。

では、この「自信のなさ」とは何なのかを、別の言葉で置き換えてみましょう。

他人に対する不信感

「自信のなさ」を別の言葉に置き換えるとしたら、まず「他人への不信感」が挙げられます。

つまり、この場合の「自信のなさ」とは「他人を信じることに対して自信を持てない」ということを意味します。

いつも他人に対して身構えているような感じがする

自分のせいで周囲を我慢させている気がする

勘違いされてしまう気がする

このような気持ちがある場合、もしかしたら「他人はその程度の人間かもしれない」という不安を抱えているかもしれません。

一般的に、人間関係というのは、お互いに関わり合うことで深まっていくものです。

関係が深まれば、ちょっとしたことで相手を嫌いになったり、「もっと条件の良い他人」がいたからといって簡単に切り捨てたりすることはありません。

でも、他人と自分を比較する傾向が強い人は、それを自分に適用させることが苦手です。

なので、自分がどれだけ相手のために頑張っても、そして相手がそれに応えてくれているように見えても、

心のどこかで、「でも、もっといい他人が現れたら私は捨てられてしまう」と感じます。

他人が自分を見捨てないという自信がもてない。

これは、見捨てられた、見放された、守ってもらえなかった…という経験がある方に多い感覚です。

自分に対する無力感

もう一つ考えられるのは「自分に対する無力感」です。

こちらは、自分の存在を評価したり決定するのは他者である、という感覚です。

つまり、自分の意志も、感情も、価値も、他人が「こうだ」と言えばそうなってしまう、だれも本当の自分のことは分かってくれない、という無力感を指します。

他人が自分の価値を決め、自分にはそれを覆す力がない

噂話をたやすく信じる人間が怖い

自分で「良い」と感じたものを他人が批判すると恥をかいた気になる

このような気持ちがあると、例えば自分より能力の高い新人が現れた時に「負けないように頑張ろう」とは思えなくなり、「新人の方が価値があるから、もう仕事をやめてしまおう」と感じます。

他人と比べられることを恐れる方が、転職を繰り返したり、通う場所を転々とするのは、

「自分には何の決定権もないので逃げるしかない」からともいえます。

他人に対しても自分に対しても無力であるため、自信の持ちようがない状態です。

カウンセリングで出来ること

もし、ここに書いたことが思い当たるように感じられる方がいらっしゃれば、

「他人に対する無力感がどこからきたのか。」

「他人を信じられない感覚はなぜそんなに強固になってしまったのか。」

それを見つけていくのが、カウンセリングでの一つの作業になるかもしれません。

例えば、昔、近所の子が自分の母親になついてしまったり、親が別のおうちの子供をとてもほめたりしていれば、それは

「親をとられる恐怖」

として、根強く心に残っているかもしれませんね。

自信をもつために出来ることは、何かを足していくことだけではありません。

時に記憶を整理したり、思いに名前を付けることによっても、叶うことがあります。

カウンセリングについて

※記事の内容はお悩みの原因を決めつけるものではなく、考えられる背景について一例を述べています。